マヘリアは幼いころに母を亡くし、幼少時代は食べるものもろくに食べられないほどの極貧生活を送りました。
歌の世界で成功し、世界的な知名度を得た後でさえも日常的な人種差別は根強く、シカゴの白人居住区に建てた自宅には銃弾が撃ち込まれるなど、彼女の人生の多くの時間は差別や苦難との戦いでした。
でもマヘリアは決してつらさや悲しみをブルースに乗せて歌うことはしませんでした。有名になってからジャズの王様デューク・エリントンにレコーディングとツアーを誘われたときにも、彼女は「私が口にするのは、神の音楽だけ」と断ったそうです。彼女は「希望」と「光」を歌う歌手でした。
私の知り合いのクリスチャン・ゴスペル・シンガーの方が「マヘリアのゴスペルはどうも商売っ気が強すぎて、私は好きになれない。だって彼女のゴスペルは礼拝の賛美を目的にしたものではないから・・」と言われたのを思い出します。
まあその人の好みだし、その人にとっての「ゴスペルはこうあるべき」という一つの意見だと思いますが、社会的最弱者であった黒人奴隷の生命や権利、そして心を支えるために歌われた黒人霊歌の役割と、マヘリアが積極的に参加した公民権運動で弱者を支え鼓舞するために歌われた「We Shall Not Be Moved(古い黒人霊歌” I Shall Not Be Moved “の主語が変わったもの)」や「How I got Over」「Precious Lord, Take My Hand」などのゴスペル・ソングが多くの人の心を支え、勇気を与えたという意味では役割は同じだと僕は思います。
こう書いてからいうのもおかしいですけど、ゴスペルに「こうあるべき」なんて役割つけるのはなんか馬鹿げています。教会の外であれ、中であれ、どのような時でも、どのような人にとっても、求められた時にすでに与えられているものこそが「ゴスペル(福音)」です。神様の恵みなんて、大抵は後で思い出したように気付くものであって、僕らがその目的や役割を決めて歌うものではないんじゃないかと思っています。 Be
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