モチベーションを維持する難しさ

はじめまして。私はゴスペル塾生です。

ホームページを見ている方、ゴスペル塾に興味があるけどどうしようかな~と迷っている方に是非伝えたいことがあり、今日はBEE先生にお願いしてブログの1ページを使わせていただきました。

私は20年前にゴスペルと出逢いました。

そこから現在に至る間に結婚もし、転職もし、自分の環境は色々変わりましたが、その間唯一ずっと変わらなかったのがゴスペルとの関係です。

出会ってすぐにハマってしまった私は「ゴスペル最優先」とばかりに、毎日レッスンだ~!練習だ~!イベントだ~!と歌いまくるようになりました。

友達や家族との約束は二の次で、平日は仕事が終わるとせっせとスタジオに寄り、休日になると朝から晩まで、掛け持ちであっちのグループ、こっちのグループと練習をはしごする、ゴスペル漬けの生活を20年続けてきました。

自分に自信のなかった私に、クワイアでの活動は「不要な人間など一人もいない」ということを教えてくれました。このメッセージを沢山の方と共有したいと思い、人前で歌うことにも積極的に取り組んできました。

ゴスペル塾との出会い

そんな状況がコロナで一変しました。

最初の緊急事態宣言が出された時は、急に仕事も歌もストップし、何だかわからないまま自粛の日々が続きました。

その後コロナのことが少しずつ分かってきて、音楽系の教室やスタジオも夏ごろから徐々に再開されるようになりました。

「こんな世界中が大変な時に呑気に歌かよ」世間から白い目で見られるんじゃないか、「今やるべきことではないんじゃないか」そんな不安に苛まれながらも、半年ぶりに声を出した時には「歌える喜び」が体中を駆け巡りました。

我が家は夫婦ともに接客業です。収入はコロナ以前より8割近く減ってしまいました。このような状況でも足を運んでくださるお客様に感謝すると同時に、感染リスクのある場所へ来ていただくことへの申し訳なさと、絶対に感染者を出してはいけないというプレッシャーが重くのしかかりました。

明るい兆しが見えてきたと思うと翌月には日本中で感染爆発、、、。進んでは戻り、進んでは戻り、結局同じ場所でずっと歩き続けているだけの日々に、やりがいをもって携わってきた仕事ですが、いったい何のためにやっているのか分からなくなってしまいました。

「誰かを元気づけたい」そう思って歌い続けてきたゴスペルも、今はそれが誰かを不快な気分にさせたり、悲しませているかもしれないのです。コーラス練習は不要不急でリスクのある行動です。「決して自分達が楽しむ為だけに活動しているわけではない」なんて言い訳にしかなりません。

あの時感じた「歌える喜び」はすっかり消えかけていました。

そんな時に始まったのが「ゴスペル塾」です。

元々、古いゴスペルや黒人霊歌を学びたいなと思っていた私は、開校を聞いて迷わず申し込みをしました。

「Amen」の歌

一番初めに配られた課題曲は「Peace In The Valley」という讃美歌でした。

歌はこう始まります。

I’m tired and I’m weary(私は疲れて、弱っている)

何の為にゴスペルを続けているのか分からなくなっていた私はハッとしました。

私にとってゴスペルは「共感」の歌です。これがゴスペルの定義として正しいか分かりませんし、信仰という部分で考えると20年も歌ってきたにもかかわらず、まったく自信がありません。

ただ、いつもいつも歌詞のどこかしらに「Amen(本当にそのとおりだなあ)」と思う言葉が出てきて、私はその言葉を口にすることで何度も勇気づけられてきました。

今、世界中が疲弊し、多くの方が光を見失おうとしています。

長引くコロナ禍は私達から気力を奪おうとしているのです。生きる気力、働く気力、笑う気力、考える気力、歌う気力。

自分のために歌ってもいいんだと気づかせてくれたゴスペル塾

ゴスペル塾は、今月3クラス目が開校しました。BEE塾長の「コロナ禍でも歌へのモチベーションを持ち続けて欲しい」そんな思いが詰まった塾です。今までのクワイア練習とは違って、コーラス練習はほぼありません。コンサートへ向けてみんなで作り上げたり、ステージで誰かに聴いてもらったりという楽しみとはまた違ったやりがいがあります。

古いゴスペルや黒人霊歌には、厳しい時代を乗り越えてきた黒人達のうめきと命に対する強いこだわりが込められています。彼らの声を聴き、彼らの言葉を自分の言葉に重ねていきます。

「ゴスペルっていうのは、辛い時にこそ『ハレルヤ(神様、感謝します)』って言うんやで。」BEE先生の口癖です。

苦しい時だからこそ自分の歌に向き合う、それがゴスペル塾のコンセプトなのかなと思っています。

レッスンでは毎回1人ずつ歌っていくので、一緒に受講している方達の歌から、声の出し方、フレージングなど、勉強になることが沢山あります。

また、自分の歌をメンバーに聞かれているという緊張感が「歌を練習したい!」という意欲を取り戻させてくれました。

私は幸運にも、応援してくれる方々の支えもあり、練習する場所があります。歌いたくても歌えない方が大勢いる中で、本当に恵まれた環境があることに感謝しかありません。

みんなが戻ってくる日まで、この「歌える場所」を守っていくのも、今歌うことができている私の役目かなと思っています。

もし私と同じように「何のために歌うのか」分からなくなって悩んでいる方がいたら、ここへ歌いに来ませんか?

2021年9月 ゴス塾1期生より

第2回目/課題曲レコーディング・レッスン

9月のレッスンは先月に引き続き、レコーディングをしました。

課題曲はMargaret Alisonの「I’m Working on a Building」

『クラス増設決定!』土曜日夜18時

新しいクラスは第2土曜日の夜、忙しい方も無理なく通える月1回レッスン♪

現メンバーのレコーディング動画なども見ていただいて、最近また「私もやってみたい!」と言う嬉しいお声をいただくようになりました。

長引くコロナ禍でミュージシャン、シンガーにとって厳しい状況が続いています。グループ活動やライブも思うようにできない日々ですが、こんな時じゃないと「自分の歌」にじっくりと向き合うこともできないかなと思います。

いざ、ヴィンテージ・ゴスペルの世界へ!!

ゴスペル塾はゴスペル経験者向けのレッスンとなっておりますが、やる気があれば未経験の方でも大歓迎です。

「できないんじゃない、やったことがないだけ」

『ゴスペル塾(月イチ土曜日校』

【レッスン日】第2土曜日
【時間】18:00~20:00(2時間レッスン)
【月謝】2,000円
【定員】6名

【講師】BEE芦原

第1回目\課題曲一発録り/レコーディング・レッスン開催

今年の2月に1クラス目を開講してから半年が経ちました。

今日のレッスンでは1人ずつリードボーカル部分をレコーディングしてみました。

普段のレコーディングでは録音ブースに入って録るんですが、ブースは窓のない小部屋ですので、今回は教室内にマイクを立てて録りました。

外で車が走る音やセミの声なんかも一緒に録音されてしまったかもしれませんが、それも風情があってイイじゃないかとお許しください。

先月入ったばかりのメンバーも含め12名が参加してくれました。その中から一般公開OKな7名の音源がYoutubeでお聴きいただけます。

完全一発録り!!補正無し!!

課題曲「Peace in the Valley(Margaret Allison & The Angelic Gospel Singersバージョン)」

ミキシングはリバーブとコンプレッサーをかけています。


BEE芦原のゴスペル塾では新規メンバー募集しております!!

現在のクラスは第1日曜日の12:30~と15:00~。どちらも只今定員いっぱいの為、新規受付はしておりません。

ですが、もし受講希望者が多数おられるようなら、もう1クラス新しく作りたいなと思います!!

曜日や時間帯は未定です。ご希望があれば今なら合わせられるかもしれません。

この機会にじっくりと自分の声に向き合ってみませんか?

【対象者】ゴスペル経験者(未経験でもやる気があればOK)

是非一度お問合せください。

偉大なる女性シンガー列伝 其の⑤ Albertina Walker & The Caravans

多くの若者にチャンスを与え、数々の有名ゴスペル・アーティストを生んだ「スター・メイカー」

アルバーティナ・ウォーカーは1929年8月29日にシカゴで生まれ、4歳のときにウェストポイント・バプテスト教会の児童合唱団で歌い始めました。

シカゴのサウスサイドで育った彼女は、マヘリア・ジャクソンの歌に夢中になり、ゴスペルの女王に直接会うことを決意しました。13歳のとき、彼女はシカゴのマヘリアの自宅にアポなしで現れました。

初めは門前払いしていたマヘリアでしたが、純粋な少女の熱意に根負けし、家に招き入れるようになります。アルバーティナの訪問はより頻繁になり、その頃には彼女のほかにもう一人、勝手に門下生になった若者がいました。それがGMWA( Gospel Music Workshop Of America )の創始者であり、のちに「ゴスペル・クワイアの父」と呼ばれたジェームズ・クリーブランドでした。ジェームズは歌いながらピアノを弾きました。マヘリアは彼らのパフォーマンスを丁寧に分析しアドバイスを提供しました。n 

 

伝説のグループ「キャラバンズ」誕生!

アルバーティーナの本格的なプロとしてのキャリアはロバート・アンダーソン・シンガーズに加入した時から始まりました。と言ってもロバート・アンダーソンはアルバーティナが加入したあとグループを引退して解散してしまいます。しかしステート・レコード・カンパニーというレコード会社のスタッフは豊かなコントラルト・ヴォイスを持ったアルバーティナの歌を録音したいと考え、彼女に自分のグループを作るように提案します。

とは言っても急な話だったので、アルバーティナはロバート・アンダーソン・シンガーズの仲間に声をかけ、即席のグループを作りました。レコード会社のアレン氏に、グループ名を聞かれたので考えた結果、メンバーの イライザ(Yancey)はインディアナ州ゲーリー、ネリー(Grace Daniels)はインディアナ州イーストシカゴ、そしてオラ・リー(Hopkins)はシカゴの端っこ、アルバーティナは反対側の端っこから来ていたことから、「ゴスペル・キャラバンズ」と名付けました。(のちに「キャラバンズ」となる)

1952年に結成されたキャラバンズは4月に最初のレコーディング・セッションを行いました。しばらくはアルバーティナを中心としたコーラス・グループでしたが、1953年にベッシー・グリフィンが加入し彼女のソロがフィーチャリングされる形となったころから、グループは看板ソリストを輩出するスタイルへと変わっていきました。1954年にベッシーが脱退した後釜として加入したカシエッタ・ジョージも卓越したリード・シンガーでした。

アルバーティナに見いだされ、キャラバンズで仕上がった二人の天才歌手。ドロシー・ノーウッドとシャーリー・シーザー。

1956年までに、カシエッタ・ジョージはグループを去りましたが、アルバーティーナは、キャラバンズに並外れた新しい歌手を連れてくることによって、ボーカルの才能を見つける彼女の間違いのない能力を示し続けました。

ドロシー・ノーウッドは8歳で彼女の家族で構成された「Nowood Gospel Singers」のメンバーとしてキャリアをスタートさせます。その後。ゴスペルの盛んなシカゴに移り住もうと、モリス・ブラウン大学に入学する準備をしていましたが、シカゴの最初の夜に教会で歌うマヘリア・ジャクソンの歌声を聴き、そのまま彼女に弟子入りします。(アルバーティナにしてもジェームス・クリーブランドにしても、ドロシーにしてもですが、突然押しかけて弟子入りしてしまうってすごいですね。またそれを断らずに受け入れて家に招き入れて手料理まで振る舞うマヘリアはもっとすごいですけど・・・)

そしてマヘリアを通じてドロシーとアルバーティナは知り合い、1960年ころから1964年までキャラバンズの看板シンガーとして活躍します。その後、彼女はソロとしてのキャリアをスタートさせますが、その活躍は説明するまでもなく、9つのグラミー・ノミネート、70年代のローリング・ストーンズやスティーヴィー・ワンダーのツアーへの参加など、ゴスペルだけにはとどまらない幅広い活動を行っています。

しかし本当のキャラバンズの絶頂期は、かつて「神童」または「神に選ばれ油を注がれた歌手」と呼ばれた天才ゴスペル・シンガー、シャーリー・シーザーの加入により始まったと言えます。

シャーリーは地元の教会で幼少期に「神童」と呼ばれていましたが、その後ノースカロライナ大学(現在のノースカロライナ中央大学)に入学し経営学を専攻します。学生生活を送るシャーリーはある日、キャラバンズのコンサートに参加しその歌声に魅了され、自分もこのグループに参加したいと考えます。知人であるドロシー・ラブ・コーツ(この人も超有名。のちに特集すると思います。)の仲介でシャーリーは、すでにゴスペル界のスターであったキャラバンズにソプラノで参加します。

シャーリーの歌唱法は「プリーチング(説教)スタイル」と言われています。私たちがブラック・ゴスペルを通じて当たり前のように親しむこの怒鳴っているように聞こえる激しい説教のスタイルは実はアフロ・アメリカンの民族的スタイルで、全世界的に見ればとても特徴的なものです。

前にこのブログで紹介したゴスペルの母「マザー・ウィリー・メイ」が、牧師の説教の時に会衆との間に生まれる「コール&レスポンス」に見立てて、リード・シンガーとクワイアの間に音楽的に「呼応」を生み出すスタイルを作りました。その後そのスタイルはエドナ・ガルモン・クックや、シスター・ロゼッタ・サープなどの手により発展し、シャーリー・シーザーの類まれなアーティキュレーションによって完成したと僕は勝手に思っています。(実際にシャーリーが歌いだすと、聴衆はみな立ち上がって大きな声で叫びだすというのが、キャラバンズのコンサートの目玉となっていきます。)

このようにシャーリーの加入によって、そのキャリアの頂点に達したキャラバンズは、ゴスペル界における女性コーラスというスタイルの地位を向上させ、バレット・シスターズなどの後進に多大な影響を与えましたが、1966年にソロ・キャリアをスタートさせるためにシャーリーが脱退。その後、ロリータ・ハラウェイというリード・シンガーが加入しますが、絶頂期の勢いは取り戻せず、ついに1969年にアルバーティナはキャラバンズの解散を決意します。(ちなみに最後のリード・シンガーのロリータは70年代・80年代にディスコ・クイーンとして「Love Sensation」などの大ヒット曲を出します。)

余談ですが、キャラバンズ結成当初、ジェームス・クリーブランドはピアニストとして参加していました。しかしアルバーティナは彼のカリスマ性にいち早く気づきます。レコード会社からキャラバンズのニュー・アルバムの録音の話が来た時に、彼女はジェームスがリードを取る曲を録らせてほしいと担当者に話したところ、担当は「あんなカエルみたいな声はいらない」と断られてしまいます。しかしツアーなどではジェームスの歌は聴衆の心を掴むということを何度も説明し、最後には「ジェームスの曲が入らないのであれば、アルバムの録音はしない!」と言い放ち、担当は渋々受け入れることになります。

後にジェームス・クリーブランド牧師は激しい説教による喉の酷使のため、いま知られているようなガラガラ声になりますが、彼はシンガーとしてもディレクターとしても大成し、それどころかG.M.W.Aを立ち上げ「マス・クワイア・ゴスペルの父」と呼ばれるようになります。

アルバーティナの「人の才能を発見する力」は恐るべきもので、彼女がいなくては世に出てこなかった歌手もいたでしょう。彼女が「スター・メイカー」と呼ばれる所以です。

【重要】4月のレッスンは29日です。

こんにちは。塾長のBEE芦原です。

1月から体験会をスタートした「ゴス塾」ですが、ありがたいことに入会希望者が現在8名。当初「なんとか6名集まって1クラスはできたら嬉しいな~」と思っておりましたので、嬉しい驚きです。

次回の体験会にもご予約をいただいておりますので、思い切ってもう一クラス追加で開講することに致しました。

先にスタートしたクラスの通常レッスンと体験会、両方とも同じ日にレッスンを行いたいので、4月、5月のレッスンは予定していた日程を少し変更いたしました。

変更に伴いご不便をおかけしますが、お間違いのないようにおこしください。


【4月の日程】

4/29(祝)12:00~14:00・・・体験会
※3/21に入会された方も12:00~のクラスへ参加してください。

4/29(日)14:00~16:00・・・通常レッスン
※3/7以前に入会された方はこちらに参加してください。


【5月の日程】

5/30(日)12:30~14:30・・・通常レッスン①
5/30(日)15:00~17:00・・・通常レッスン②


偉大なる女性シンガー列伝其の④ Mahalia Jackson

多くの人に勇気と希望を届けた世界的ゴスペル歌手

Mahalia Jackson ( 1911-1972)は、ゴスペルシンガーだけでなく、テレビパーソナリティ、公民権活動家としても多くの功績を残しました。

彼女は「Queen Of Gospel (ゴスペルの女王)」と呼ばれ、ゴスペルミュージックの史上最高の歌手の一人として、ブルース・フィーリングあふれる豊かな表現力と力強い声で世界中の多くの歌手に影響を与えました。

彼女がこのようにゴスペルの第一人者として君臨することになった要因として、彼女の歌が力強い躍動感と尊厳および強い宗教的信念を組み合わせたものであったことは当然ですが、全世界にレコードやテレビジョンが普及し始めた時代であったことで、それまでの時代には考えられなかった知名度を得ることができたのではないかと思います。

幼年期~トーマス・A・ドーシーとの出会い

マヘリア・ジャクソンはルイジアナ州ニューオリンズで生まれました。幼少のころから日常生活の中で当たり前のように讃美歌を歌いましたが、土地柄もあって自然とベッシー・スミスやマ・レイニーなどのブルースアーティストの世俗的な音に影響を受けていました。彼女は家族を支援するために中学2年生で学校を中退しました。看護を学ぶ目的で10代の頃シカゴに移った後、彼女はグレーター・セーラム・バプテスト教会の聖歌隊と、ジョンソン・ゴスペル・シンガーズでプロとして歌い始めました。

彼女が「ゴスペル音楽の父」として知られる作曲家トーマスA.ドーシーと出会ったのは、1929年。その後1930年代半ばに教会のプログラムやバプティスト全国大会などでドーシーの歌を歌いながら、14年間ドーシーのゴスペルを普及させるためのゴスペル協会活動に携わりました。

ゴスペル・アーティストとしての成功

1946年にマヘリア・ジャクソン名義の曲「Move On Up a Littler Higher」を録音し、10万部を売り上げ、最終的に100万部を超えました。1947年までに、彼女は全国バプテスト大会の公式ソリストになりました。

マヘリアのその他のミリオンセラーとしては”In the Upper Room” (1952), “Didn’t It Rain” (1958), “Even Me”  “Silent Night” などが有名です。彼女はキャリアの間に約30枚のアルバム(主にコロムビアレコード)を録音しました。彼女はまた、映画「Imitation of Life」、「St。LouisBlues」、「The Best Man and I RememberChicago」にも出演しました。

1950年代半ばまでに、彼女はシカゴでラジオやテレビ番組を放送し、全国的な番組(エド・サリバン・ショーなど)にも頻繁に出演しました。この間、彼女はシカゴにフラワーショップを所有し、コンサート・アーティストとしてツアーを行い、コンサートホールに頻繁に出演し、教会にはあまり出演しませんでした。

1950年に彼女はニューヨークのカーネギー・ホールで演奏した最初のゴスペル歌手になり、1958年にニューポート・ジャズ・フェスティバルでも同じく最初のゴスペル・アーティストとして出演を果たしました。この時代のニューポート・ジャズ・フェスはまさに時代の中心となるものであり、そこに出演するということは全米から認められたアーティストという称号を得たようなものでした。(逆に言えばマハリアが世俗的、もしくは商業的なゴスペル歌手というレッテルで見られているのも、このような驚異的な成功を収めたことが大きな要因かもしれません。)

マヘリア・ジャクソンと公民権運動

マヘリアを語るうえで外せないのが、やはり50~60年代における公民権運動との関わりではないでしょうか?

1956年、マーチン・ルーサー・キング牧師をはじめとする公民権運動の指導者たちはマヘリアに、集会、行進、デモに彼女の強力な声と財政的支援の両方を貸すように求めました。キング牧師の右腕であり、今もなおブラック・コミュニティにおいて大きな影響力を持つ指導者ジェシー・ジャクソン師の回顧録では「マヘリアは60年代の公民権運動において最も重要な支援者であり、キング牧師の講演の多くに同行しその力強い歌声は聴く人の心を支え、勇気づけた。彼女はキング牧師に頼まれたら、人種差別の特に厳しかった深南部の地域でさえもためらうことなく同行した。」と書かれています。

とくに有名な話としては、1963年8月23日に20万人が集まったワシントン大行進の際に、キング牧師はいつもの公民権運動用の演説を用意していましたが、直前にマヘリアが「前に地方の講演会でしたあの” 夢の話 ” をみんなに聞かせてあげて欲しい」といい、急遽変更され語られたのが、アメリカの教科書にももっとも説得力のある最高のディベートとして紹介されている「I Have A Dream」だったと言われています。キング牧師の葬儀では、彼が最も愛したゴスペル曲「Precious Lord, Take My Hand」を歌いました。「We Shall Over Come」をはじめとするこの当時の彼女の歌は、まさにFreedom Song として歴史に残っています。

マヘリア・ジャクソンが歌うゴスペルは、神様が私たちに与えてくれる「希望」と「光」

マヘリアは幼いころに母を亡くし、幼少時代は食べるものもろくに食べられないほどの極貧生活を送りました。

歌の世界で成功し、世界的な知名度を得た後でさえも日常的な人種差別は根強く、シカゴの白人居住区に建てた自宅には銃弾が撃ち込まれるなど、彼女の人生の多くの時間は差別や苦難との戦いでした。

でもマヘリアは決してつらさや悲しみをブルースに乗せて歌うことはしませんでした。有名になってからジャズの王様デューク・エリントンにレコーディングとツアーを誘われたときにも、彼女は「私が口にするのは、神の音楽だけ」と断ったそうです。彼女は「希望」と「光」を歌う歌手でした。

私の知り合いのクリスチャン・ゴスペル・シンガーの方が「マヘリアのゴスペルはどうも商売っ気が強すぎて、私は好きになれない。だって彼女のゴスペルは礼拝の賛美を目的にしたものではないから・・」と言われたのを思い出します。

まあその人の好みだし、その人にとっての「ゴスペルはこうあるべき」という一つの意見だと思いますが、社会的最弱者であった黒人奴隷の生命や権利、そして心を支えるために歌われた黒人霊歌の役割と、マヘリアが積極的に参加した公民権運動で弱者を支え鼓舞するために歌われた「We Shall Not Be Moved(古い黒人霊歌” I Shall Not Be Moved “の主語が変わったもの)」や「How I got Over」「Precious Lord, Take My Hand」などのゴスペル・ソングが多くの人の心を支え、勇気を与えたという意味では役割は同じだと僕は思います。

こう書いてからいうのもおかしいですけど、ゴスペルに「こうあるべき」なんて役割つけるのはなんか馬鹿げています。教会の外であれ、中であれ、どのような時でも、どのような人にとっても、求められた時にすでに与えられているものこそが「ゴスペル(福音)」です。神様の恵みなんて、大抵は後で思い出したように気付くものであって、僕らがその目的や役割を決めて歌うものではないんじゃないかと思っています。 Be

Gospel Pioneer Reunion / DVD

1994年に収録され、2016年にDVD化され再発売!見事にビルボード・チャート1位を獲得!

とにかくメンバーが凄い!「Mighty Clouds Of Joy 」のジョー・リゴーン大先生から始まり、伝説のグループ「The Caravans」のアルバーティナ・ウォーカー、女性コーラスグループで僕が一番好きなシカゴのバレット・シスターズ。さらにリチャード・スモールウッドにウォルター・ホーキンスにジェニファー・ホリディ、そしてなんとオルガンにはビリー・プレストンまでもが!!

ちなみに2007年か2008年のシカゴ・ゴスペル・ミュージック・フェスティバルはゴスペル・レジェンドがテーマでこのDVDにも出演しているドロシー・ノーウッドやアルバーティナ・ウォーカー&キャラヴァンズ、マイティ・クラウズ・オブ・ジョイ、ほかにドッティ・ピープルズも出演してました。すごいメンツやったなあ。

新潟のBRO.タイスケ牧師と現地で合流し、ミレニアム・パーク・ステージの一番前でギャーギャー言いながら踊り狂って観たのを思い出します。(ジェシー・ジャクソン師も生で見たなあ。)

Bill &Gloria Gaitherによる大ヒット・プロジェクト「Geither Homecoming」からの派生イベント

アメリカ白人ゴスペル界のゴッド・ファザーと言われるビル・ゲイザーは、サザン・ゴスペルの歌手として「He Touched Me」や「Becouse He LIves」などの名曲を持ち(作詞は奥さんのグロリアが担当)、プロデューサとしてもビリー・グラハム伝道集会で活躍した往年のゴスペル・アーティストを集めた「Homecoming(同窓会)」ツアーを毎年企画し世界中で大成功を収めています。

本作品「Gospel Pioneer Reunion」もそのイベントの流れから、インディアナ州アレクサンドリアにあるGeither Studiosにて収録されました。

1曲目からハイ・ヴォルテージ!最高です!!

1.
Highway to Heaven – Leann Faine/Rev. Donald Vails/Dorothy Norwood/Edgar O’Neal/Kitty Parham/Inez Andrews/Isaac Whittman/Margaret Douroux/Jennifer Holliday/Jessy Dixon/Joe Ligon/Albertina Walker/Velma Willis/Angela Spivey/Richard White/Richard Smallwo
 
2.
Yes, God Is Real – Vernon Oliver Price
 
3.
Jesus Loves Me – The Barrett Sisters
 
4.
I Shall Wear a Crown – Leann Faine/Rev. Donald Vails/Dorothy Norwood/Edgar O’Neal/Kitty Parham/Inez Andrews/Isaac Whittman/Margaret Douroux/Jennifer Holliday/Jessy Dixon/Joe Ligon/Albertina Walker/Velma Willis/Angela Spivey/Richard White/Richard Smal
 
5.
Lord Keep Me Day by Day – Albertina Walker
 
6.
We Shall Be Changed – Kitty Parham
 
7.
Lead Me, Guide Me – Velma Willis
 
8.
You Can’t Beat God Giving – Billy Preston
 
9.
Can’t Nobody Do Me Like Jesus – (featuring Isaac Whittman/Joe Ligon/Richard White)
 
10.
Tis’ the Old Ship of Zion – Romance Watson
 
11.
I’m Glad – Margaret Douroux
 
12.
If It Had Not Been – Jennifer Holliday
 
13.
Wicked Shall Cease Their Troubling, The – (featuring Dorothy Norwood/Edgar O’Neal/Jessy Dixon)
 
14.
Sweet Sweet Spirit – Doris Akers
 
15.
Mary Don’t You Weep – (featuring Dorothy Norwood/Inez Andrews/Albertina Walker/The Caravans)
 
16.
Oh Happy Day – (featuring Leann Faine/Angela Spivey/Walter Hawkins)
 
17.
That’s Enough – Babbie Mason
 
18.
He Knows Just How Much You Can Bear – Robert Anderson
 
19.
I Love the Lord – (featuring Rev. Donald Vails/Jennifer Holliday)
 
20.
Center of My Joy, The – Richard Smallwood

偉大なる女性シンガー列伝其の③ Margaret Alison

マーガレットウェルズ「ベイブ」アリソンは、1921年9月25日、サウスカロライナ州プラムブランチに生まれ、4歳のときに両親と一緒にペンシルベニア州フィラデルフィアに移住しました。

アリソンはヴァレリー・スタークスという地元の歌手兼ピアニストをとても尊敬していたので、彼女はピアノを始めることにしました。

1941年、彼女はスピリチュアルエコーズと呼ばれるフィラデルフィアの女性ゴスペルグループに同行し始めました。

1944年のある夜、アリソンは牧師が彼女に自分のグループを作るように言う夢を見ました。それは普段見る夢よりも非常に強い説得力を持った特別なもののように思えました。彼女は考え抜いた挙句、彼女の夫からの励ましもあり、Angelic Gospel Singersを結成します。

スピリチュアルエコーズのエラ・メイ・ノリスとルシール・シャードは彼女の決心を祝福しただけではなく、彼女のグループに加わることに同意しました。アリソンは彼女の妹、ジョセフィン・ウェルズ・マクダウェルを4人目のメンバーとして導き入れました。アンジェリックスはゴスペルソングに明るく説得力のあるハーモニーを与え、多くの人を魅了しました。

1949年、フィラデルフィアの一人のゴスペル・プロモーターがアンジェリックスを聴き、ゴッサム・レコードの社長であるアイビン・バレンに紹介しました。

バレンはグループに、これまでのゴスペルアーティストが録音したことのない新しい何かを歌うようにリクエストしました。

アリソンは、ある女性シンガーがLucie CampbellのTouch Me Lord, Jesus歌っているのを思い出しましたが、より現代的なサウンドで新しいアレンジを考案しました。

バレンはアリソンのバージョンを非常に気に入り、曲をリリースし、一夜にして成功を収めました。発売時点で推定10万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

Angelic Gospel Singersは、全国を旅しながら、ゴスペル・サーキットのトップ・アトラクションになりましたが、当時の他のトップ・ゴスペル・グループと同じく、過酷なツアーは彼女たちに大きな試練を与えました。

「神への信仰が私を導いてくれました」と後にアリソンはこの時のことを回想しています。「聴衆の前に行く前に、私はグループと一緒に祈りました。私の祈りは、主に私たちを祝福し、聴衆を祝福し、誰かに触れる何かを歌うのを手伝ってくれるように頼むことでした。」

グループはTouchMe Lord Jesusに続き、There Must Be a Heaven Somewhere、Back to the Dust、クリスマスの定番となったAllisonが書いた曲、Glory,Glory to the Newborn Kingなど連続でヒット曲を出しました。

ディキシー・ハミングバードとアンジェリックスが一緒にツアーをしたとき、彼らはしばしば一緒に歌を演奏しました。

1950年と1951年に、アリソンとディキシー・ハミングバーズのアイラ・タッカーがリードボーカルを入れ替わり、Dear Lord、Look Down upon MeStanding Out On theHighwayなどのクラシック・ゴスペル・ナンバーを録音しました。

ルシールとエラ・メイは、それぞれ結婚した後、アンジェリックスを引退しました。アリソンと彼女の妹はグループを続け、新たにトーマス・モブリーとバーニス・コールを新メンバーとして迎えました。

再構成されたグループは、1955年から1983年にMalaco Recordsと契約し、Touch Me Lord Jesus、Don’t Stop Praying、Out of the Depths、I’ve Weathered the Storm、I’ve Got Victoryを含む一連のアルバムを録音しました。後者は、ゴスペル音楽におけるアンジェリックスの長寿。1987年のMalacoシングルI’ve Got Victoryは、Angelic GospelSingersをゴスペル・ラジオ・ローテーションに返り咲かせました。

2000年、うっ血性心不全で入院した後、アリソンは歌い続けましたが、それ以降彼女は大規模なツアーを減らしました。

マーガレット・アリソンがマラコで最後に録音したプロジェクト、タッチ・ミー・アゲインは、2008年にリリースされました。

このアルバムのリリースの直後、彼女はフィラデルフィアで86年の生涯を終え、主と共に天国へと旅立ちました。

偉大なる女性シンガー列伝 其の②Clara Ward & The Ward Singers

類まれなる才能に恵まれながらも、幸せとは言えない短い人生を送ったゴスペル・アーティスト。

ゴスペル史上最高のソリストの一人であり、アレサ・フランクリンに最も大きな影響を与えたシンガー

1924年8月21日にフィラデルフィアで生まれたクララ・ウォードは、ゴスペル史上最高のソリストの1人として広く評価されています。

彼女のバックグループであるウォード・シンガーズと一緒に全米をツアーし、その活動の結果、ゴスペルと言う音楽は教会の礼拝の中で賛美として歌われるだけでなく、エンターテイメント性の高いショー・パフォーマンスとしての一面を確立しました。派手な衣装とポップスタイルのパフォーマンスが、これまでになかった新しい可能性と商業的成功をゴスペルにもたらせました。(結果としてこのことは賛否両論があり、グループと彼女の寿命を縮める要因ともなりました。)

ビジネス面を担当した母親のガートルードは、幼いころから娘クララの歌唱力と妹ウィラのピアノに非凡な才能を見出し、1940年代後半には強力なビジネス・マネージメント力で、このグループを教会サーキットのトップアトラクションの1つに育て上げました。

のちにグループは2人の新しいパフォーマー、ヘンリエッタ・ワディとマリオン・ウィリアムズを迎え入れます。彼女らの力強い声はグループのトレードマークとなりました。マリオンがソリストとして加入したことで、ウォード・シンガーズはグループとしてのピークを迎えました。(1949年に発表された「Surely God Is Able」はゴスペル曲として初のミリオン・セラーとなりました。)

教会サーキットから、ナイトクラブ・サーキットへ。

1940年代のゴスペル・グループが有名になっていく流れとして、① 自分達の属する教会の礼拝プログラムに組み込まれる→② 地域の他の教会にもゲストとして呼ばれるようになる→③州も越え、全米の教会から目玉として呼ばれるようになる(トップ・アトラクション)というのが普通でしたが、ウォード・シンガーズは派手な衣装とそれまでにはなかったステージ構成で、黒人クリスチャン・コミュニティにはとどまらず、白人の富裕層までファン層を拡大しました。

実際、活動範囲を広げたことで、それまで彼女たちを後押ししていた人たちを置き去りにしてしまう形になったようです。「Packin’ Up」という曲は、舞台に大きなスーツケースを模したセットを作り、聴衆には大人気でしたが、一部の純粋なゴスペル・ファンからは「ピエロ」と揶揄されました。その後も活動範囲は広がり、ラスベガスでのショーやディズニー・ランドにも出演しました。

CL・フランクリン、アレサ・フランクリンとの出会い

クララ・ウォードの人生は、キャリアの成功だけを見れば華やかそのものですが、決して彼女にとって幸せとは言い難いものでした。

幼い頃は経済的な事情から彼女の家族は19回も引っ越しをしました。彼女の自伝によれば幼少期にいとこから性的虐待を受け、生涯を通じて母親はクララを「最高の稼ぎ頭」として絶え間なく働かせました。

妹のウィラによれば、母親は彼女たちの恋愛を禁止し、過酷なツアー・スケジュールを課しました。17歳でクララは一度、彼氏と駆け落ちして結婚しますが、それを良く思わなかった母親がートルードは長期にわたるツアーを強要し、元々体がそんなに強くなかったクララは極度の緊張から流産します。そして結婚生活も一年で終わってしまいます。

そんな彼女にとってとても幸せな時間だったのは、デトロイトを拠点とする有名な説教師であり、あのアレサ・フランクリンの父親でもあるC.L フランクリンとの長年のロマンスだったのではないでしょうか?

ウォード・シンガーズは、C.L フランクリンと大規模なツアーを多く行い、クララは長い時間をフランクリンの家で過ごしました。そしてこの時期にマヘリア・ジャクソン(彼女もフランクリンの家族の友人だった)とともに、アレサ・フランクリンを指導します。

後にソウルの女王となったアレサのあのパーフェクトな鼻腔共鳴を作ったのはまさにクララ・ウォードだと思います。(上の動画でもC.L フランクリンの横にクララが座って嬉しそうに弟子のアレサを見つめています)

うつ病・アルコール依存、そして死

1960年代になっても、クララ・ウォードは母親の商品としてツアーを続けます。

歌唱力は若い頃のようなパワーはなくなりますが上手さ(巧さ?)が増し、音楽としてのクオリティは健在でしたが、あまりにショーとして構築され過ぎたパフォーマンスは、ゴスペルの伝統を重んじる多くの信者を失望させました。

彼女の中にもその葛藤があったようで、少しずつ彼女の心は力を失ってしまいうつ病からアルコール依存症になります。

そして1966年5月にフロリダ州マイアミビーチのキャスタウェイズラウンジで演奏中に彼女は倒れます。その後2度脳卒中を起こし、1976年1月16日に48歳でこの世を去りました。