トーマス・ドーシーにも影響を与えた盲目のギター・エヴァンジェリスト(伝道師)

ブラインド・ウィリー・ジョンソンは1897年1月22日、テキサス州インディペンデンスに生まれた。母親は彼が幼い頃に亡くなり、父親は後に再婚している。

ジョンソンが7歳になろうかという頃、夫婦げんかをしていたところ、継母が灰汁を投げた。それはジョンソンの父親には当たらず、傍にいたウィリーの目にかかってしまいウィリーの目は一瞬にして見えなくなった。

その後、大きな四角いブリキ缶を加工した手製のギターを父親に作ってもらい、毎日それを弾いて彼独特の技法を編み出してゆく。彼は生きるために街角でギターを弾きながら帽子を渡してお金を稼ぎ、その習慣はバプティスト伝道師になっても続けられた。1920年代後半には、妻のアンジェリンとデュエットでブルージーな賛美歌をダラス周辺の教会で演奏していた。

1927年、ジョンソンはコロンビア・レコードと契約し、彼の最も長く愛されるゴスペル・ブルースの曲、”Mother’s Children”, “It’s Nobody’s Fault but Mine”, “Jesus Make Up My Dying Bed “などを録音した。これらはすべてヒットし、 その後さらに多くのヒット曲が生まれました。 “Dark Was the Night – Cold Was the Ground”, “God Don’t Never Change”, “Let Your Light Shine on Me “などです。

ジョンソンは1930年以降はレコーディングをせず、街角で説教をしたり歌ったりすることを続けていた。1947年、ジョンソン夫妻の家が全焼した。この火事で家を失った彼は雨の日などは濡れた床で寝る日が多くなり、風邪をひいてしまうが、生活の為に街角で歌い続けた。そして彼は肺炎を発症し、1週間後に亡くなった。妻は看護婦に転身し、公の場から引退した。ジョンソンの音楽は、ボブ・ディラン、ポップ・ステイプルズ、エリック・クラプトンなどによるカバー・バージョンで生き続けている。

元ネタ:The Gospel Legend.com, The Gospel Music Encyclopedia , Gospel Industry Today, Wikipedia ほかいろんな本やネットの情報や過去に先輩に教えてもらった知識

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